【特集】遺言があるかないかで、妻の相続はこんなに変わる ── ふたつの物語

トラブル・注意喚起

遺言があるかないかで、妻の相続はこんなに変わる ── ふたつの物語

特集|2026年7月2日

「うちは夫婦仲がいいから、遺言なんて必要ない」──そう思っていませんか。実は、仲のよいご夫婦ほど、遺言がないことで残された配偶者が苦労することがあります。今回は特集として、遺言がなかった良子さんと、遺言があった和子さん、ふたりの物語をご紹介します。あわせて、自筆の遺言に潜む「検認」という落とし穴と、その避け方もお伝えします。
※登場する人物・事例は、実際のご相談例をもとに再構成した架空の物語です。

仲良くお茶を飲むシニア夫婦のイラスト

物語1.遺言がなかった良子さんの十か月

良子さん(68歳・仮名)は、夫の博さん(72歳)とふたり暮らし。お子さんはいませんでしたが、旅行や庭いじりを楽しむ、仲のよいご夫婦でした。ある朝、博さんは心筋梗塞で突然帰らぬ人に。悲しみに暮れる間もなく、良子さんの長い手続きの日々が始まりました。

まず、博さん名義の銀行口座が凍結され、生活費も葬儀費用の精算もままなりません。銀行の窓口で言われたのは、「相続人全員の実印と印鑑証明書のある書類をお持ちください」という言葉でした。

良子さんは驚きます。「相続人全員? 妻の私だけではないの?」──実は、お子さんのいないご夫婦では、妻だけでなく、夫の親(すでに他界していれば兄弟姉妹)も相続人になるのです。博さんの相続人は、良子さんに加えて、10年以上会っていない夫の兄、そして亡くなった夫の弟の子(甥)の3人でした。

良子さんは、博さんの出生から死亡までの連続した戸籍を集め、面識のほとんどない甥の連絡先を探し、手紙を書き、電話をかけ、遺産分割協議書への実印の押印と印鑑証明書をお願いして回りました。義兄からは「自宅を売って現金で分けてほしい」と言われた時期もあり、長年住んだわが家を失うかもしれない不安で、眠れない夜が続いたそうです。

最終的には話し合いがまとまり、自宅は良子さんが取得できましたが、すべての手続きが終わったのは、博さんが亡くなってから十か月後。「主人を偲ぶ余裕もない一年でした」と良子さんは振り返ります。

なぜこうなるの?: 遺言がない場合、財産の分け方は相続人全員の話し合い(遺産分割協議)で決めるのが原則です。お子さんのいないご夫婦では、法律上の取り分(法定相続分)は妻4分の3・夫の兄弟姉妹4分の1。たとえ夫婦で築いた財産でも、義理の兄弟姉妹や甥・姪の協力(実印・印鑑証明書)がなければ、自宅の名義変更も預金の解約もできないのです。

物語2.遺言があった和子さんの一か月

和子さん(70歳・仮名)も、夫の正雄さん(74歳)とふたり暮らしで、お子さんはいません。正雄さんは3年前、市の終活セミナーに参加したのをきっかけに、公証役場で公正証書遺言を作っていました。内容はシンプルで、「全財産を妻・和子に相続させる。遺言執行者として妻・和子を指定する」というものでした。

正雄さんが病気で亡くなったとき、和子さんの手元には公正証書遺言の正本がありました。家庭裁判所の手続き(検認)は不要。銀行にも法務局(自宅の名義変更)にも、遺言書と最小限の戸籍を持っていくだけで、義理の兄弟に連絡を取ることも、実印をお願いすることもなく、手続きはひとつずつ淡々と進みました。

預金の解約も自宅の名義変更も、ひと月あまりでほぼ完了。遺言書の末尾には「付言事項」として、正雄さんからの言葉が添えられていました。「和子へ。長い間ありがとう。この家でこれからも元気に暮らしてください」──和子さんは「最後にもう一度、主人に守ってもらった気がします」と話します。

ここがポイント ── 兄弟姉妹には「遺留分」がありません: 相続人に最低限保障される取り分を「遺留分」といいますが、兄弟姉妹(および甥・姪)には遺留分がありません。つまり、お子さんのいないご夫婦なら、「全財産を配偶者に」という遺言が一通あるだけで、配偶者はほかの誰の同意もなく、すべての財産を受け取れるのです。

ふたつの物語をくらべると

遺産分割協議良子さん:義兄・甥との協議が必要(全員の実印・印鑑証明書) / 和子さん:不要
預金の解約良子さん:協議がまとまるまで原則動かせず(仮払い制度で一部のみ) / 和子さん:遺言書ですみやかに解約
自宅の名義良子さん:売却を求められ、一時は住まいを失う不安も / 和子さん:遺言どおり確実に取得
かかった期間良子さん:約10か月 / 和子さん:約1か月
心の負担良子さん:疎遠な親族への連絡・交渉で心労 / 和子さん:夫の言葉(付言事項)に支えられて前へ

もうひとつの落とし穴 ── 「自筆の遺言」を書いただけでは、妻の負担は残る

「それなら遺言を書けばいいんだね」と、便箋に自筆で遺言を書いて机の引き出しにしまっていた徹さん(76歳・仮名)。亡くなったあと、妻の恵子さん(73歳・仮名)がその遺言書を見つけました。「これですぐ手続きできる」と銀行に持っていくと、窓口でこう言われます。「家庭裁判所の検認がお済みでない遺言書は、お取り扱いできません」。

検認とは、家庭裁判所が相続人の立ち会いのもとで遺言書を確認し、偽造や変造を防ぐための手続きです。自宅などで保管されていた自筆の遺言書は、この検認を経ないと実務では使えません。恵子さんは、徹さんの出生から死亡までの戸籍一式と相続人全員の戸籍を集めて家庭裁判所に申立てを行い、検認期日まで1か月以上待つことになりました。その間、預金の手続きは止まったまま。「遺言があるのに、どうしてこんなに大変なの」というのが恵子さんの実感でした。

ご注意ください: 封のされた遺言書を家庭裁判所以外で開封すると5万円以下の過料の対象になります。また、検認は遺言が有効かどうかを保証する手続きではありません。自筆の遺言は、日付や署名などの不備でせっかくの内容が無効になってしまう危険もあります。

妻を守るために、今日からできること

3つの物語から見えてくるのは、「遺言を書くこと」と「残された人が使いやすい形で残すこと」の両方が大切だ、ということです。具体的には次の方法があります。

公正証書遺言で作る公証人が関与して作成し、原本は公証役場に保管されます。検認は不要、方式の不備で無効になる心配もほとんどなく、もっとも確実な方法です。和子さんの物語はこの形でした
自筆なら「法務局の保管制度」を使う2020年に始まった自筆証書遺言書保管制度を使えば、自筆の遺言書を法務局が預かってくれます。手数料は1通3,900円で、検認が不要になり、紛失・改ざんの心配もなくなります。外形的な様式のチェックも受けられ、亡くなったときに指定した人へ通知してもらう仕組みもあります(内容の有効性まで保証するものではない点にはご注意を)
内容にひと工夫遺言執行者を指定しておくと手続きがさらにスムーズです。受け取る人が先に亡くなった場合に備える予備的遺言の一文や、家族への想いを伝える付言事項もおすすめです。書く前に専門家のチェックを受けると安心です
お子さんのいないご夫婦こそ、遺言を: 物語のとおり、遺言の効果がもっとも大きいのはお子さんのいないご夫婦です。なお、パソコンやスマホで作れる「デジタル遺言」の制度も成立しましたが、実際に使えるのは数年先。いま備えるなら、公正証書遺言か法務局の保管制度が現実的な選択肢です。

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